銚子ジオパーク推進市民の会

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ツール・ド・銚子半島マップ (1)
@ 外川の街並み 外川・犬若コース
A 長崎海岸
B 宝満
C 千騎ヶ岩
D 犬若岬
E 洋上風力発電
F 高神愛宕山 高神コース
G 高神愛宕神社
H 日比友愛の碑
I 高上館 ↓<マップ(2)へ続く>
 
銚子のとっておき ツール・ド銚子半島 (1) 見どころ概要 (1)
   

ニュース書庫


@ 外川の街並み <石畳の道と光る海>


A 長崎海岸 <白亜紀・新第三紀の浜>


C 千騎ヶ岩 <義経伝説のジュラ紀の岩>

   

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E 洋上風力発電 犬若岬沖
<風車の高さ126m、出力2.4MW>


   

ニュース書庫

 
F 高神愛宕山 <一等三角点>


G 高神愛宕神社 <火の神アフラマヅダ>


G 京都愛宕神社 全国愛宕社の総本社
<時は今あめが下しる五月哉>光秀


   

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H 日比友愛の碑 <比国マヨン山を望む>

   

ニュース書庫

 
I 高上館の曲輪 <高福寺土塁>

@ 外川の街並み 
江戸初期、紀州広村の漁民=碕山治郎右衛門は、外川の日和山から切出
した銚子石=砂岩(中生代白亜紀)を使い、外川港の築港と同時に、石畳によ
る碁盤目状の町割りを行った。

この街区に紀州からの移民を住まわせて先駆的な漁法を広め、イワシの大
漁によって、「外川千軒大繁盛」と謳われた漁港の繁栄の土台を築き、その面
影を今に残す。
江戸期のイワシは干鰯(ホシカ)として葉煙草・油菜栽培の肥料にされ、浜では昼
夜を分かたず干鰯作りが行われ、「干鰯景気」と呼ばれた。

当時の築港技術の高さは、大正期末の全面改修まで、江戸〜明治〜大正
期を通じて活用されたことからも、うかがわれる。

全てが、外川台地から南の海へと向かう下り坂になっている8本の通りには
、それぞれの由来を示すような名称があり、鄙びた街並みは、都会から訪れる
カメラマンに人気がある。
A

長崎海岸


日本列島誕生の謎を解く〜東の岩礁

銚子半島の最南端にあり、先端には、足元の岩礁地帯を照らす灯台がある。
中生代白亜紀銚子層群の長崎鼻層の上を、一部、新生代新第三期中新世
の夫婦ヶ鼻層や、同じく鮮新世の名洗層が、不整合に覆う。

海岸は大小の転石に覆われる。これら転石の中には、近隣の岩場から流れ
着いた中生代白亜紀銚子層群犬吠埼層の砂岩・泥岩や、中生代三畳紀のチャ
ートが含まれる。ここでは、酸欠時代の薄緑のチャートは少なめで、酸素の供給
量が増えた時代の、オレンジ・赤・赤紫のチャートが多く見られる。
B

宝満


日本列島誕生の謎を解く〜東の岩礁

長崎海岸沖の岩礁は、干潮時には徒歩で渡ることができ、義経伝説の島
(大宝満・小宝満)としても知られる。九郎判官義経がこの辺りに隠れていたと
いう伝説から、判官(ホウガン)がなまって宝満(ホウマン)になったと伝わる。
人が仰向けに寝ているように見える形状をしている。

この島には、新生代新第三紀中新世に海山(火山)があり、古銅輝石安山
岩が噴出し、板状節理を成す。
C

千騎ヶ岩


遠い海から来た奇跡の奇石

外川港の西側に続く犬若海岸の海中には、愛宕山層群に属する中生代ジュ
ラ紀の付加体である、陸源性の硬砂岩・泥岩から成る幾つかの島がある。

これらのうちで最大の千騎ヶ岩は、義経伝説の島としても知られる。
頼朝方の追手が迫った時、義経は、千騎の味方をこの岩の背後に隠したと伝
わる。

千騎ヶ岩には、銚子を北限とする暖流性のソナレムグラ・ハマボッス等の貴
重な崖地植物が見られる。

この島が陸続きだった頃はウミウの生息地として知られていた。
千騎ヶ岩は、千葉県の天然記念物に指定されている。
D

犬若岬


遠い海から来た奇跡の奇石

犬若海岸の陸地側の犬若岬には、愛宕山層群に属する中生代ジュラ紀の
付加体
と、それを不整合に覆う、新生代新第三紀鮮新世の名洗層がある。

名洗層には、海中で火山灰が堆積した際の斜交層理が見られる。
犬若岬には、銚子を北限とする暖流性の崖地植物、ソナレムグラ・イソギク・
ヒゲスゲ・ハチジョウススキ等が見られる。

犬若岬の台地上は、屏風ヶ浦を一望し、その西端に富士山を望む絶景の地
で、伊能忠敬が日本地図作成のための測量を開始した場所として知られる。
E

洋上風力発電


NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)と鹿島建設は、犬若岬沖
3.1km、水深11.9mの地に、洋上風車と洋上風況観測タワーを設置した。
2013.03.04から、東京電力と東京大学が実証研究を開始した。
今後2年間かけて、発電量や環境への影響を含めて実用性を検証する。

風車の羽根の直径は92m、海面からの高さは126m。
1基で2.4MWの発電能力により、一般家庭1200世帯分の発電量を見込む。

屏風ヶ浦沖の海底は平坦な波蝕台が続き、また、波の力が強いことから、
設備の堅牢性を高めるため、設置にあたっては、従来の「浮体式」ではなく、日
本初の「着床式」を採用。

「着床式」の基礎部分は、海面付近を細くしたフラスコ型で、波の影響を 減
衰させる。これにより、東日本大震災で発生した津波と同等の力が加わっても
安全なことを、3.11の際、実地で検証済み。
F

高神愛宕山


遠い海から来た奇跡の奇石

愛宕神社の右前には標高73.6mを表わす「一等三角点高神村」があり、明
治25年製の小豆島産花崗岩の標石に対し、平成21年にICタグが埋設され、イ
ンテリジェント基準点として機能している。
直近の一等三角点は飯岡(旭市上永井、標高68.42m)。
高神村の愛宕神社のある山は「高神愛宕山」と呼ばれる。

地球展望館のある高神愛宕山には、銚子半島の基盤となる中生代ジュラ
紀の愛宕山層
が露頭している。

高神の石切り場跡や石垣には、ジュラ紀の付加体が見出される。
付加体である陸源性の硬砂岩・泥岩の中には、海洋プレートに含まれる石
灰岩を礫として含む礫岩があり、これを高神礫岩と呼ぶ。

石灰岩の礫からは、ジュラ紀のサンゴや、古生代ペルム紀のフズリナ
数多く発見されている。

高神愛宕山の砕石場跡では、ペルム紀〜三畳紀の花崗岩の礫を含む礫
岩が見出され、この礫岩は、南部北上帯各地の薄衣型礫岩との対比が注目
されている。
G

高神愛宕神社 


高神愛宕神社は、「地球展望館」の道路側の入口両脇に大きな愛宕灯篭
を建て、頂上の石祠に火の神を祀る。今も、毎朝、参る人が絶えない。
愛宕信仰は、遠くササン朝ペルシャの拝火教(ゾロアスター教)に起源を持
つという。
拝火教は、「斑鳩宮(イカルガノミヤ)」や、「斑鳩寺(若草伽藍)」を建てた人々が渡
来した、6世紀(飛鳥時代)に伝来したとされる。
「斑鳩」の「鳩」は拝火教では神の使いであり、「斑」は突厥(テュルク)民族の祖
神「斑(マダラ)の狼」に由来する。
斑鳩宮は643年、斑鳩寺は670年に焼失した。斑鳩宮跡地には五重塔を含む
東院伽藍が建設され、斑鳩寺跡の発掘地は斑鳩南中学校に隣接する。
突厥は、アルタイ山脈の南に拠点を置いた騎馬鍛鉄民族で、6世紀には中央
ユーラシアの覇者=突厥帝国となり、その後、唐の影響で東西に分裂し、「北
のシルクロード(草原の道)」を通って、6〜7世紀の日本に、ヘレニズム文化と
拝火教を伝えた。
愛宕社は、8世紀初頭に京都愛宕山(標高924m)に愛宕権現として創始さ
れ、当初から、火祭りを行う山岳修験道と結びついていた。明治元年以降は、
廃仏毀釈により、修験道を排して、日本書紀に由来の迦具土神を祭神とする。
高神愛宕神社は、全国に900社ある愛宕社の一つで、家康が京都愛宕山
から江戸に勧請したことで、愛宕信仰が爆発的に広まり、「火伏せの神」とし
て信仰された。

「愛宕参りは月参り」といわれ、愛宕講の幹事役が京都愛宕山へ参って、
「火迺要慎(ヒノヨウジン)」の札を頂いて帰り、それを各戸のカマド周辺に貼るとい
う風習があった。
H

日比友愛の碑 


「地球の丸く見える丘展望館」の南側にある。
【説明版】 「日比友愛の碑は、第二次世界大戦中、不幸にして戦火を交えた
日本とフィリピン両国の民族と民族が互いの恩讐をこえて、永く世界の平和を
祈念するために、昭和33年6月に建てられたものです。この斜塔は友愛の浄
火をかたどったもので、炎の先端は遠く洋上3,000kmのフィリピン、マヨン
山(マニラ富士と呼ばれています)に向って建てられています。」

時の宰相・岸信助が題字を書いた斜塔は、「友愛の浄火」を象徴し、火の神
を祀る愛宕山の頂上に置かれ、炎の先端をマヨン火山に向けている。

銚子市と姉妹都市協定を結んでいるレガスピ市は、ルソン島南部ビコル半
島アルバイ州レガスピ市から北西へ15qの平野部に、突如として聳えるマヨ
ン山の麓にある。

マヨン山は、成層火山(コニーデ型)で、標高2,462m、フィリピン海プレート
とユーラシア・プレートの境界に位置するマグマ形成の盛んな場所にあり、フィ
リピンで最も活動的な火山。

マヨン山は、 17〜21世紀初頭までの400年に50回噴火し、1814年の噴火
では、溶岩流が山から10kmの街を埋めて、1,200人の死者を出した。
1993年の大噴火による火砕流で70人以上の犠牲者を出し、2000年、2006年、
2009年にも噴火している。
I

高上館 


高上館は、「一等三角点高神村」から北北西約600mに築かれた平地の居
館で、現在の高福寺の位置が居館の中心とされ、現況は高福寺の寺域(寺・
墓地・畑地)。

建武元(1334)年頃、海上盛胤の子、資胤がこの地を領して高上氏を名乗
り、高上館を築いたと伝わる。高上氏は、3代目が東(トウノ)氏を継いで、名跡が
消滅した。

海上郡高神村は、昭和12(1937)年に銚子市に編入されるまで存続した。
高神村の高福寺は、高上氏の菩提寺、かつ隣村・旧飯沼村の円福寺の隠居
寺と伝わる。

高福寺の西・北側には土塁が残されている。土塁の内側、高福寺の境内
は曲輪内に相当する。曲輪の底から測ると、土塁の高さは2〜3mほど。
高福寺の外周の舗装道路は、かつては堀だったという。


@ 外川の街並み <外川ミニ郷土資料館>

   

ニュース書庫


B 宝満 <古銅輝石安山岩の島>


D 犬若岬 <波の花が湧く海蝕洞>

   


E 洋上風力発電 犬若岬沖
<「着床式」の基礎部分>


   

ニュース書庫


G 縄文〜白鳳の世界地図1
<北のシルクロード(草原の道)>


G 山腹で自然発火する天然ガス
カスピ沿岸ヤナル・ダグ_アゼルバイジャン
拝火教の原型となった



G 愛宕火伏面

   

ニュース書庫


H マヨン山 1984年<マニラ富士噴火中>


I 高福寺 <高上館跡に建つ>

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